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歩く力は自然に失われていく - 仲條拓躬
2025/05/19 (Mon) 17:21:41
あなたは椅子に座って正面を向き、頭の位置を前後に動かさずに立ち上がろうとしてみてほしい。きっと、全く立ち上がれないことでしょう。どれだけ足に力を入れようと、腰は少しも浮き上がらないはずです。
では次に、何も考えずに立ち上がってみてほしい。おそらく、最初に頭を思い切り前に突き出して、その後ようやく腰を浮かせるはずです。椅子から立ち上がるためには、まず「前屈する」という動作が必要なのです。
その理由は単純で、重い臀部を持ち上げるためには、頭の重さでバランスを取る必要があるからです。頭を前に突き出し、重心を前方に移動させることで、重い臀部を持ち上げるのです。まさに、「重い腰を上げる」ためには頭を使う必要があるのです。
では、もう一つ実験をしてみましょう。今度は立った状態で足を肩幅に広げ、頭を左右に動かさずに右足を上げてみてほしい。おそらく、どれだけ足に力を入れても右足は地面から浮き上がらないはずです。では、どうすれば右足を上げることができるだろうか?
やってみればすぐにわかります。右足を上げる前に、上半身を左側に傾ける必要があるのです。先ほどと同様に、重い足を上げるには、まず重心を反対側に移動することから始めなければならないのです。
私たちの体を構成する「部品」は、それぞれがかなりの重量を持っています。体重が50キログラムの人であれば、頭は5キログラムほどもあります。足は一本あたり約10キログラム、腕も一本5キログラムほどあり、意外なほどにずっしり重いのです。
私たちは日頃、自分の「部品」の重さを自覚することがほとんどないでしょう。これほど重いものを毎日「持ち運んでいる」にもかかわらず、意外にもそのことに気づかないのです。頭や手足は、肩や背中、臀部の大きな筋肉で支えているため、重さを感じにくい。
これは、子どもを抱っこするより肩車をするほうが楽に感じたり、重い靴を手で持つよりリュックサックを肩に背負うほうが軽く感じたりするのと同じ理屈です。また、生まれてから今に至るまで、必要な筋肉が必要なだけ鍛えられています。体は、自らの「部品」を持ち運ぶのにもっとも好都合に発達するからです。
一方、私が初めて介護の研修を受けたときに驚いたのは、まさに「人体がいかに重いか」という事実です。介護現場では、歩けない人をベッドから車椅子に移動するのを介助したり、意識のない人をベッドからベッドに移動したりすることは、日常的な仕事だからです。
このように体を移動させる作業は、それなりの重労働です。決して一人ではできず、四、五人のスタッフが一緒に力を合わせて行う。自分の体は一人で運べるのに、他人の体は一人では到底運べないのです。
特に意識がない方を移動させるときは、手と足に注意が必要です。手足はずっしり重いにもかかわらず、胴体とは小さな面積でしか繋がっていない。四本それぞれを誰かがしっかり支えていないと、重みのままに勢いよく垂れ下がり、あっという間に関節を損傷してしまうからです。お互いが声を掛け合い、息を合わせて慎重に動かすのです。
体の重さが問題になるのは、介護のときだけではない。入院が長引き、ベッド上の生活が長くなった人が、久しぶりに起き上がろうとすると全く立てなくなっている、ということは自ら経験しました。特に、もともと筋肉が弱った高齢者に起こりやすい現象でしょう。
胸やお腹の病気で手術を受けたり、心筋梗塞や肺炎にかかったりなど、足腰とは全く関連のない病気にかかったとしても、歩く力は自然に失われていくのです。体を毎日「持ち運ぶ」作業を怠れば、見る見るうちに筋肉は弱ってしまうからです。
程度の差こそあれ、無重力の空間から地球に帰還した宇宙飛行士が、支えなしには歩けなくなっているのと状況は似ています。宇宙飛行士の油井亀美也氏が、帰還直後の生活について、「私はスーツを脱ごうとして、頭を前に傾けた時に、首と背筋で頭の重さを支えるのを忘れ、前のめりに頭を地面に叩きつけそうになりました」と語っていたのが印象的です。
したがって、宇宙空間で宇宙飛行士が筋力トレーニングを怠らないのと同じように、入院中はリハビリが重要になるのです。可能な限り意識的に歩いたり、手足を動かしたりする必要があるのです。病院では、多くの人が毎日病棟の廊下をゆっくり歩いています。生活力を維持するために、必須の運動なのです。