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イギリスとイスラエルの歴史
1:
仲條拓躬
:
2024/05/16 (Thu) 16:39:55
イギリスはじめ西側諸国は、パレスチナ人への人権侵害などが報道されており、世界各地で大規模なイスラエル反対デモが起こり、アラブ諸国はパレスチナ支援を表明しているのに、なぜイギリスはイスラエルをこんなに支援しているのでしょうか。
これにはイスラエルをめぐる歴史の理解が重要です。現在のイスラエルがある土地はかつて「パレスチナ」と呼ばれ、現在トルコの母体となるオスマン帝国が支配している場所でした。当時は現在よりもかなり人口が少なく、住んでいる人の多くはアラブ系で、ごく少数のユダヤ人が居住していました。ほかにもさまざまな民族が住んでいました。
多くの土地はまだ開墾されてはおらず、あまり豊かな地域ではありませんでした。ただパレスチナには、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教それぞれに重要な聖地があり、宗教的に重要な場所です。やがてパレスチナに移民することを希望する人が増えてきました。
パレスチナに移民することを提唱する人々の考え方の背景には「シオニズム運動」というものがあります。これは19世紀に盛んとなった民族国家建設のための運動で、世界各地に離散していたユダヤ民族が母国への帰還をめざして起こしたものです。
このあたりのことはドイツやほかの国で書籍が出版され、ロシアとヨーロッパに広がっていきました。ヨーロッパをはじめロシアには数多くのユダヤ人が住んでいました。ユダヤ人は西暦70年のローマ帝国軍との戦争でエルサレムを占領され、世界各地に散らばっていきます。
それ以前にもすでに離散状態であり、特に影響が大きかったのがこの西暦70年の追放だったのです。多くの国でユダヤ人は差別され、たいへん厳しい状況に置かれていました。わりと多くのユダヤ人は近隣国やヨーロッパに散っていきました。
だが、ヨーロッパでは13世紀には多くの西側ヨーロッパ諸国から追放され、18世紀に商業活動が比較的自由になるまでユダヤ人は迫害され続けます。追放された人々の多くは東ヨーロッパやロシアに住み着きましたが、なかにはパレスチナに移民した少数の人々もいました。
ロシアに住むようになったユダヤ人の多くは、ロシアの西側へ住まなければなりませんでした。これは今のベラルーシやウクライナにあたります。これらの地域での生活は楽ではなかったのです。
とにかくロシアでのユダヤ人に対する差別や偏見は激しく、1881年にロシアでユダヤ人の大規模な殺害が起きるようになると、多くのユダヤ人がロシアからパレスチナへ移民するようになります。
各種の学会や政治の世界での重要人物がユダヤ人だったのにもかかわらず、ロシアでの迫害は止まりませんでした。イギリスにもロシアから逃げてきた15万人が移民し、多くがロンドンの東側に住み着きます。そして新大陸をめざした人々もおり、200万人がアメリカに逃げたのです。
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